言っとくけど、俺は白人がカナリ好き。白人居住区育ちの俺が、白人の幼稚園をはじめ、白人の小学校・白人の中学校・白人の高校・白人の大学に続々進学して参りました。大学時代聴いてた洋楽も白人向けであれば、妻も白人だ。尚且つプラス更に片方の猫ちゃんまで、毛の半分以上が真っ白な訳。そして友達全員一人残らず白人。昔は黒人友達も居ったが、敢えて連絡を取らなくなった。キャラが被って困る :)。
だから、こう言うのを人種差別として誤解されないで欲しいが・・・
俺は白人が完全にイカれてると思う。いや、思うっていうか、事実です。お前ら(白人)サァ、正気か?ヤッパリ正気じゃないナァ。正気な人種ならこう言う映画は撮れないだろう。

『マンデラの名もなき看守』って言う映画なんだけどサァ。ええっ?ちょっと待って。マンデラの看守?・マ・ン・デ・ラ・の・看・守・?マジかよ。って、有り得ない!!冗談じゃないよ!誰、この馬鹿企画を創った馬鹿が?一発、いや、二発、いや、三発殴らせろ!

基本的に平和主義な俺は何故に暴力に訴えるか、ご説明しましょう。
①私が知っている限り、これは史上初のネルソン=マンデラの映画化。
②上記同様
③本来敵対者ていうか、悪役である筈の連中が、白人が為に主人公兼善玉にされるのは、今回で初めてじゃない。いや~皆さん、これは蔓延してる病気だ。病気な白色人種が世界中にバラ蒔いている・・・病気・・・だ。
何で?何でマンデラを虐待した浣腸野郎が美化されなきゃいけないの?
- 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(白人虐殺者が先住民の言語と生活習慣をプチ勉強する・・・だから?)
- 「モガディシュの戦闘」(別にソマリア人があんたらに助けなんか頼んでないぞ~)、
- 「アラモ」(テメエ等みてえな平気で他国に侵攻する奴等が死んでも、神様も哀しみましぇ~ん)、
- 「サハラに舞う羽根」(お前らナァ、そもそもスーダンにおるのはその土地の人間を奴隷にする為だろうが!)、
と全く同様、人道を逸した事ばっかりする白人男性が何故かヒーローにされちゃう訳。同胞がやってる事をチョッピリ反省して何が偉いの?何も無いでしょう?でっしょ?だから今ここで俺はこの流れに強く反対せざるを得ない。

「でも、勝元、どんな民族でも自分達を美化しガチじゃん」、とかホザく呼び捨て野郎もいらっしゃるでしょうが、それは全然違うって。つい最近、かのニッポンが、「ベクシル - 2077日本鎖国」を創り出したんじゃない?アレは日本人が、アメリカ人を主人公/善玉にし、日本人自身を悪玉にした作品なんだ。佳作とは言えないけれど、発想が新鮮そのものだ。しかも主人公が女性。やるじゃん、ニッポン。SFでも自分達を厳しい目で見れる黄色人に、白人も是非倣うべし。特にノンフィクション(実話)を扱う時にね。って、「実話」の意味が解かるか、白人共よ・・・明らかに解からないね。漢字学べ。
ていうか、何でマンデラ役が碌に南アフリカの訛りが出来ないアメリカ人なんだよ!?演技がド下手だっつーのに。好い加減アフリカ人にしろ。「黒人だから」イイって訳じゃないってば。『24』の大統領なんて知るかっ。一回だけ黒人大統領を巧く演じてからって永遠にそれとして起用されるべしって事は無い。無い。絶対無い。
以上。皆さんのご意見も聞こう。
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ジブリ、嫌い俺はネ、ジブリが嫌いなんだよ。と言うよりは、ジブリに対する嫌悪感は無くはない。と言うよりは、ジブリは嫌。と言うよりは、「これが傑作だ!鑑賞して、敬え!」とか言われるのがスンゴい癪に障る。障りっ放し。 そう言えばシェークスピアもシェークスピ嫌なんだわ。自分で観て、良し悪しを決める機会すら与えられず、無理矢理「シェークスピア凄いぞ、お前ら。反論ある奴は無学無知無能で、無意味な人生を送っている俗物だ!」という「教育」を受けるのが我々英語圏民の日常ちゃめしごと。賞賛している奴(先公)自身、中古代英語が解らない癖に偉そうに言うなっちゅねん! 相変わらず脱線か。兎に角ね、シェークスピア崇拝も、ジブリ崇拝も、似た様な現象で、どっちも僕に似た様な反発感を抱かせて了う。 んでね、ひょんな事で、雨天の今朝は「となりのサインフェルド」、じゃなくて「トトロ」を見る事にした。って言うかさ、ずっと考えてたんだけど、そもそもトトロって生物学的に何なんだよ?類人猿?熊?米軍基地から逃走した極密実験動物?ビリーズブートキャンプ見過ぎて調子に乗って巨大化して了った鼠? お負けに鳴き声怖~い。いや~~~ん! アメリカンジョークで済いません。 トトロを観て、矢っ張りジブリって凄いナァと改めて(初めて?いや、「もののけ姫」をカウントすれば二回目だから確かに「改めて」)感じました。あの動き。あの自然観。あの声の演出。みな新鮮でカッコいい。正に生きること自体が美しくて楽しいと示唆して呉れて、文字通り童心に帰らせる作品だった。 宮崎先生率いるスタジオ=ジブリが斯う言う佳作を連発し続けて来たからこそ、今じゃ「ジブリ」って名前が付いてるだけで「佳作」と思われるに違いないだろう。それでも名前だけじゃ評価されて・させられて困る。けれど、ジブリが高名を得たにはちゃんと根拠が有ったのは否めましぇん。尊敬する。そんけー! 「ハウルの動く城」は其のママ嫌いやけどね。 (笑)。
勝元's日本語初ビデオだよコノヤロー/Khatzumoto Japanese Video Debutほーらアップしたじゃん?!もう「ホンマに日本語できるのかコノヤロー」とか抜かすなよ!こう見えてもオマエ作るにゃ超時間掛かったぞ。撮影だの変換だのWMMの故障だの。まあ、これからも兀々(こつこつ)投稿しながら向上して参りたい所存ですので、4649お願いしまーす! Look...ok?...It was late; we were talking; the camera's on; I have strange quirks and…
ブラじゃない!大胸筋矯正サポーターなんだよ!相変わらず新しいネタに噛み付くのが遅い俺なんだけど、まあ、其れは其れで取り敢えずコレ観ろよ! 久々に笑わせてくれるていうか、観るに値する番組が世に出たって感じ。実はホンマにずーっと悩んでた。「せっかく日本語学んじゃったのに、結局オモロいモノ(本・番組)無いもん」って。この「金卵」に救われて感謝、感謝。「サウスパーク」並みの極上馬鹿喜劇なので、超勉強になるかと思いますぅ。独学者の皆様に是非お薦めしもす。
日本のテレビが変他国と同じように、日本のテレビと言えばピンからキリまである。外国で日本語の勉強に専念していた頃の私は「日本語なら見るに値する」という考え方だった。昔は昔、今は今。そして今は日本に住んでいる為、日本のテレビを簡単に見れるようになった。しかし、日本語が前よりレベルアップしたのに連れ、判断基準も上がってしまった。要するに、審美眼が「日本語なら見るに値する」を遥かに越えて来たトコロだ。 ピンからキリ迄あるという日本のテレビ番組なんだけど、実はその大半が「キリ」で、垂れ流しに過ぎん。別に皆が悪いという訳でもないが、ヤッパリ思ったより下手なモノが多い。『タイガー&ドラゴン』や、『電車男』・『トリック』のような確りしたドラマなど、残念ながら割と少ない。 何処の何がどう悪いかというと、矢張り「ワンパターン主義」が主因だ。例によって例の如く書かれた台詞と設定が何度も繰り返して製作・放送されるのが事実である。ていうか、何で毎日バカ高い店で飯を食っている芸人の姿を見なきゃいけないんだよ?!何で才能に乏しく、歌いも演じることも出来ないクセに歌とドラマで生きているアイドルが続々出てきているんだよ!?どうして在り得ない効果を宣伝する化粧品(「20年若く見える」・・・ってそんな馬鹿な話あるかっ?!!)とか、怪しい健康食品(「単に胡麻を食べても摂取できないんだけど、100%胡麻から作られた幻の健康エキス」・・・ってそんな馬鹿な話あるかっ?!!)など、老人と主婦を騙すばかりのCMが許されるの?と自分に言い聞かせている。 弱音を吐くのが嫌いなので、解決策を練ろうとした私。最初はケーブルテレビに加入した。「多額のお金払っているから広告も少ないし、コンテンツが優れているだろう」。という筈だったけれど、流石に大大大失敗。だって、各60分の時間帯で20分がCMで占められるなんて受け入れられるモンか。しかも、幾ら番組そのものが優れていても放送時間は選べないので、録画機を買わねばならない破目になりガチ。差し詰めケチの私には絶対無理な話。 んで、CMの地獄であるケーブルテレビから逃げて(退会して)、次はパソコンでインターネットテレビを見ようとした。しかし、番組数・メモリ量・画面面積が不足だし、字幕も無いから即やめた(はい!日本語字幕中毒者で~す!文句あるかっ?)。普通のテレビでも見ようかと思って、NHK料金を支払いたくない為、その計画も未然に中止。結局現在はネットのDVDレンタル(或る意味でNetflixの日本版、TSUTAYA DISCAS)でテレビ欲を満たそうとしているが、続けられるかどうかは未だに不明。借り放題や、見たい時に見たい番組が見れるとは確かだけど、DVDの郵送がメッチャ遅い所為(セイ)でその分だけ借り放題さが成立しない(「題」はマダ「放」ってないっつーの!)。 一応そういう状態だ。今後とも弱音を吐く必要がなくなるように頑張り続けて、報告する!ってか厳密に言えば、如何なる厳しい状態でも、弱音を吐く必要がないけどね。まいっか!偉い哲学は偉い哲学者に任せよう!
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勝元の仰る映画は見た事ないのですが、何と無く同感出来る。
しかし、私はその「どんな民族でも自分達を美化する嫌いがある」ってホザく野郎じゃないの。実は、私の思うには、白人が自分達を悪役にするのが得意とでも言えるかも知れぬ。
ナチ映画とか、宗教裁判に関する映画とか、山ほどあるじゃないか?
あっ、それに言いたかったけれど、この記事の始まりの注意は別に要らないと思う。誰もこの記事を人種差別と誤解しない筈だからよ。
下手な日本語ですまぬm(_ _)m
khatzuさん、僕は未だ日本語を勉強中です。日本人の友達がこの作文を読んでkhatzuさんは日本人だと思うほど上手って言いました。でも、その人がこの作文をもっと分かりやすくする為に、「為に」の代わりに「故に」を使うのはどうかと言っています。
「白人が為に主人公兼善玉にされるのは」
間違いじゃないそうですけど、違う意味にも取れるので。
然し、ナチ映画を撮るのはアメリカ人或いは英吉利人じゃん?独逸ではナチに関する映画を撮っちゃ駄目だ。宗教裁判映画も、その宗教の信者に取られる筈が有りませぬ。例えモンティ・パイソンの「ライフ・オブ・ブライアン」が全員無神論者の喜劇グループに取ったのであろう?
とある内集団の団員がその集団を批難する筈が御座らぬ、自らを美化するに違いない。米国映画は大体英国人を紅茶飲みの見下し屋の貴族方とするではないか?
合ってない日本語で申し訳御座らん。
でも、ドイツ製のナチ映画もある。殆どのは記録映画だけれど、Mein Führer – Die wirklich wahrste Wahrheit über Adolf Hitler(我が総統、ヒトラーについての本当に一番本当の真実)ってコメディーがあるんで、Der Untergang – Hitler und das Ende des 3. Reichs(滅亡、ヒトラーと第三帝国の終わり)って映画が誰の眼から見てもナチを美化しようとしない映画なんっす。
カトリック教会も宗教裁判に関する記録映画を産するが、私が知っている限りその映画は結構歴史の事実を美化しようとする。でも、教会だから事を美化しようとするって当然かもな。
@無名さん
御コメント、本当にありがとう御座います。
ナチス映画なんだけさぁ、確かに白人の中のよく使われる悪玉ですね。
しかし、それは飽く迄も例外で、逆に其のナチス連中と対抗する白人こそ美化されているのではないでしょうか?どう思いますか?
マイケル・ムーアとかはどうなの?